福岡伸一博士の朝日新聞連載作品を集めた「ゆく川の流れは、動的平衡」という本があります。前回記事「動的平衡2」はガッツリ本だったので、並行してパラ読みし自分の読書リズムを整えていました。「600字程度のエッセー」集なので、割と気軽に福岡博士の世界を楽しめます。「簡にして明」作品集です。
福岡教授の本は冒頭部分に博士の思いが詰まっていることが多い気がします。この本の「序文」には、18世紀のドイツの詩人の言葉が出てきます。次いで最初のエッセーです。
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「生命の惜しみない利他性」
(横浜のみなとみらい駅近くの黒い大きな壁一面に、碑文が刻まれているそうです。)
「樹木は、この溢れんばかりの過剰を、使うことも、享受することもなく自然に還す」、「動物はこの溢れる養分を、自由で、嬉々とした自らの運動に使用する」。植物と動物の共生、生命の循環、を端的に表現したドイツの詩人シラーの言葉です。
(私の個人的な話:本籍は横浜ですが、この文章を読み、故郷の横浜へ帰ってみたくなりました。お近くにお住まいの方は是非お出掛けください。)
「命の美しさ、感じる心こそ」
卓越した先見性をもって環境問題に警鐘を鳴らした生物学者レイチェル・カーソンは、子どもの育ちにとって最も大切なものは、知ることよりもまず感じること、と言った。「センス・オブ・ワンダー」という言葉を使った。自然の精妙さ、繊細さ、美しさに対して驚きを感じる心である。
(大人でも、あまりの自然の美しさに思わず涙する心は持ち続けたいものです。)
「なぜ急に色気づくのか」
霊長類の中でも、なぜ、ヒトにだけ長い子ども時代があるのか。子どもにだけ許されるいることは? 遊びである。闘争よりもゲーム、攻撃よりも友好、防御よりも探検、警戒よりも好奇心、現実よりも空想。それが子どもの特権である。なかなか成熟しないかわりに、遊びの中で学び、試し、気づく。これが脳を鍛え、知恵を育むことにつながった。(これが、福岡博士の仮説だそうです。素晴らしいです。)
児童文学者の石井桃子さんの言葉も引用されています。「子どもたちよ 子ども時代を しっかりと たのしんでください。おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代の『あなた』です」
「生命、かつ消えかつ結びて」
ノーベル賞学者の大隅良典先生とお話しした際に、ご自分の研究の進展によって、細胞は物質を合成する以上に、分解することを一生懸命していることがわかってきた。たんぱく質合成の方法は一通りなのに、分解には複数の経路が多重に用意されていた。そして生命現象は絶え間ない合成と分解のバランスの上に成り立っている。
方丈記の冒頭ほどみごとに生命の動的平衡を言い表した文章を私は知らない。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」。なんと鴨長明は、消えることを結ぶことよりも先に書いているではないか! つまり、合成に対する分解の意義の優位性をすでに言い当てていたのだ。
「森毅先生との日々」
京大教養部の名物数学教師だった森毅先生は、大学入試も各教科の得点を、二乗してから足せばよい、と言っていた。そうすれば平均的な学校秀才ではなく、一芸に秀でた人を合格にできる。大学とは教科を学ぶ場所ではなく、むしろ大学という自由空間に棲息する、奇妙な生き物が発する不思議な振動に感応する磁場だと悟った。
「やがては流れ流れて」
方丈記「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
現在、大騒動をもたらしている感染症も、やがては流れ流れていくはずだ。それは制圧や根絶ということでなく、ウイルスとの共存という形で。ワクチンや治療薬の開発、そしてなにより我々側の馴れによって、日常の一つに一つになるということである。
何事にも終わりがあり、終わることによって始まることもある。長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。[2020年3月19日]
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以上が私自身の心を動かされた文章の数々です。
本書は装幀とイラストも素晴らしいです。
福岡伸一博士は、日米両国往復で多忙な研究生活をされながら、2015.12.3-2020.3.19の期間4年半は、「毎週」朝日新聞連載を続けていたと聞きます。超人的です。良質の短編集です。
福岡先生は、生命の「動的平衡」というご自身の研究テーマを軸に、思考を展開されています。五感から入る「情報」と、頭の中で感じる・思う・考える「感情」と「思考」を経て、話す・書く・行動するという「自己表現」に至る過程で、素晴らしい作品の数々を生み出されています。
私にも出来そうな気がしてきました。このブログの場で「スポーツ(運動)と脳科学」という研究テーマを軸に、自分の言葉で自己表現することが出来そうな気がします。
週に何編か、拙い作品でも良いから、ブログ記事にして投稿していきたいと思います。可能な限り自分の言葉で、自分が感じ・思い・考えたことを、素直に言語化・文章化することは出来そうな気がします。自分の「センス・オブ・ワンダー」の力を信じたいと思います。