最近、養老孟司著「生きるとはどういうことか」(2023/11/11、筑摩書房)、頁数:255頁、価格:1,600円(税別)、という本を読んだ。
「まえがき」で本書の通底しているテーマは「自然と人間」とでも言うべきであろうか、と述べている。2003年から20年程の間の作品を纏めたものだ。ここでは全59編の中から何篇か選んで要約した。やはり(口述筆記でなく)養老先生が自ら書いた作品はしっかりした内容だ。
個人的には、養老孟司の作品を大別すると、下記3つの時期になると考えている。
「考えるヒト」 1996/7/10以前 (文庫2015/10/10)
「バカの壁」 2003/4/10以前
「本書」 2003年以降作品群 (2023/11/11)
これに弟子の布施氏の本と数々の動画を加えれば良い。動画も古い時代の長編作品が良い。本だけでも20冊近い養老作品を堪能した。唯脳論はまだ残っているが、ひと区切りかもしれない。
(以下、「ひらがな」は、一部は勝手に自分流の「漢字」に変換した。)
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25頁 生きるとはどういうことか
人生、言葉にならないことが、実は一番面白いんじゃないか。懸命に生きているって、そういうことでしょ。その当座は夢中だから、言葉にしている余裕なんかない。ただひたすら、面白いと言うしかない。
身体を動かす楽しみには、多かれ少なかれ似た面がある。スキーの面白さを言葉で伝えることは結局できない。自分でやってみるしかない。
83頁 型と慣例
音が似ているというだけではなく、もともと型と形は深い関係がある。その筈だと思う。但し「型」は動きの形であり、形は直接の視覚印象をさらに概念化したものである。つまりこの二つの言葉が分かれる点は、型には時が含まれ、形には含まれないことであろう。
184頁 身体と思考
脳の働きを簡単に言うと、感覚から入って、脳の中で情報処理が起こり、運動として出て行く。出ていくところ、つまり脳からの出力が体育なのである。それは入力、処理、出力という三つの過程の一つなのだから、乱暴に言えば三分の一に相当する。
186頁 文章とリズム
文章が身体感覚だということに気づいている人は、どのくらいいるだろうか。・・・他人の文章を読むとき、読みやすい文章と、読みにくい文章がある。その理由の一つはリズムであろう。自分が乗れるリズムだと、読みやすいと感じるに違いない。和歌や俳句の五音七音は、最も一般的なリズムである。・・・こういうことって、そのまま武道の型に通じるのではないだろうか。
197頁 匂いは苦手
同じ五感と言っても、目、耳、皮膚からの入力と、舌と鼻からの入力は、脳での処理に違いがある筈なのである。味と匂いの入力は、言葉を司る筈の大脳新皮質に半分しか上がってこない。残り半分は辺縁系という大脳の古い部分に行ってしまう。目や耳の場合には、全部が新皮質に上がってくる。理屈を言うのは新皮質、それもほとんどは左脳である。
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養老先生の作品からは、実に多くのこと学んだ。
1.情報の入出力装置としての人間の脳、「五感」からの入力と、「脳内処理」は思う・考える・感じる(思考と感情)、出力としては話す・書く・行動するが「運動」だ。「表現」ということになる。
2.人の行動原理は、「合目的性」と「試行錯誤」、という趣旨の話も納得だ。
3.脳内の一次方程式 y=axで、何らかの入力情報xに、脳の中でaという係数を掛けて出てきた結果、反応がyというモデルだ。ここでaは「現実の重み」とでも呼ぶ係数だ。「感情」も脳の入出力系にかかっている重み付けである。
この3項目の知見に、今回の 5項目を加えて、養老作品からの学び総括としたい。