「スポーツ(運動)と脳科学」第41回ー余白思考という新しい概念一

「余白思考」という新しい概念の提案かも知れない。「論理的思考・データ分析だけでは戦えない時代の直感と感性の鍛え方」という帯の表現に惹かれ新刊書を読んでみた。

山崎晴太郎著「余白思考」(2024/1/9、日経BP)、頁数:272頁、価格:1,600円(税別)、2~3時間で読め、結構、気付きが得られた。

著者はアートディレクター・グラッフィクデザイナー・3社の経営者・タレント(1982年生まれ、京都芸大修士)とマルチに活躍。YouTube対談動画もあり、「社会の右脳を刺激する」、と手指・腕を常に動かしながら表情豊かにインタビューに応じる。身体感覚をロジックに人間を知る、という姿勢。表情や言葉からセンスを感じる。

 

著書に拠れば、『論理を積み重ねれば、確かに「正しい答え」にたどり着く。でも、「心を動かす答え」には届かない。「デザイン思考」は「人間中心思考」とも呼ばれ、商品やサービスを使うユーザー視点から考える手法』、との主張。

この本は、人間の感性右脳思考を大事にする。

 

個人的には、真っ白い1枚の紙に、自分の思う・考える・感じたことを、文字や絵で表現する際に、紙面全体をビッシリ埋めるのではなく、適度の余白を持って自己表現すべきなんだろうと思う。が、本能的に余白を埋めたくなり、実際に埋めてしまうのが常だ。

ブログ記事もそうだが、を多くするのではなく、を高め、新しい視点を加える中で、「余白」(余裕スペース)を十分に取り、自分自身と読者の想像力や創造力を高めることに余白の意味があるのかも知れない。そう考えると、確かに余白の意味は大きい。

また余白は、自由な発想や発想の転換を促したり、無限の可能性を引き出してくれるのかも知れない。

 

「余白」は、余裕・余暇・余韻などの言葉と同じく、ゆっくり・ゆったり・のんびり、というイメージがある。また「美意識」を刺激し、「自然観」を呼び起こす。我々の創作品も自然環境と同じ程度の余白バランス(余裕空間)が心の安寧をもたらす。

人間が人工の都市空間に住むことが多い分、心のどこかで「自然」を欲し、自然のスタイル・リズム・バランスを無意識に希求しているのかも知れない。


また著者は、自分軸としての「絶対軸」を大事にして、外部依存の「相対軸」=他人軸ではなく、頂点の「夢」=人生の中で大切にしているもの、を問うている。この部分は、コヴィー著「7つの習慣」のインサイドアウトと同じ価値観ではと思う。


本書の中で、「デザイン経営」についても触れている。アップル・ダイソン・テスラなど海外企業は経営戦略にデザイン戦略を並走させている。文字や文章に頼らずに、「気配を情緒価値として伝える」ための戦略、デザインへの取り組みだ。個人的には、日本国内でも無印良品などの店舗や商品にはデザイン的なセンスを感じる。

 

自分の生活習慣の中での「余白」について考えてみた。

1.ブログ記事について
創造的アウトプット作品として、量(文字数)・質(テーマ・問題意識・起承転結)、更には新しい視点の提案を盛り込めているか、そして「余白」割合は適正か?という観点も加えたい。

2.毎日1万歩の有酸素運動
日常の多忙な仕事・趣味(デスクワーク)の中で「動くこと」プラス「余白」としての意味があるのではないか。「自然との対話」と「創造性開発=アイデア発想の出発点」として位置付けたい。

そんな身近なところから「余白」の意味を考え、自分の感性や右脳思考を育てていきたい。

3.本書を読んで、「余白思考」というのは、ある意味、人は心の内面で、自然空間と同じレベルの余白を求めているのではないだろうかと考えた。そうだ、「自然」志向だ、「自然」回帰だ!